
穴場スポット 浄土真宗本願寺派 本願寺尾崎別院「龍谷山 本願寺」
南海本線「尾崎」駅の北側300mにある浜街道沿いに佇む古寺「尾崎別院」です。
もとは善徳寺という草堂(小さな寺)でしたが、慶長3(1598)年真宗を信仰する領主桑山伊賀守正勝の家臣石田治郎左衛門が十一間四面の御堂を建て、草堂にあった本尊を移し、本願寺第十二代准如上人に寄進しました。同年准如上人による開山とし、名称は「尾崎御坊」となりました。本尊は阿弥陀如来立像で鎌倉時代の作です。
その後、元禄13(1700)年11月晦日火災にあいましたが、たまたま嵐の翌朝尾崎の浜に巨木を積載した大船が漂着し、流れ着いた巨木を使って再建、宝永2(1705)年御堂が再興されました。以来村人からは「不思議の御坊」と呼ばれています。
【寺の全景】
伽藍は北東に向き、表門の正面に本堂が建ち、本堂の右手に庫裏があり、本堂と庫裏の間に式台玄関を設け、この式台玄関の後方に対面所、書院などを配しています。周囲には土塀をめぐらし、表門の右脇には茶所と長屋が並び、この長屋の隅部に鼓楼を置き、庫裏横に長屋門を置いています。
【表門】
表門は真宗寺院の門として、四脚門(よつあしもん)の中でも格式高く造られていいます。屋根は入母屋造、控柱と親柱間の腰長押上には彫刻欄間を入れ、組物は出組・挙鼻付きとし、折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)張りです。柱の根巻金具には「文政11(1828)年9月願主男里村細井□兵衛」反対の柱には「願主玉合平兵衛」の銘があります。
【本堂】
本堂は本山格として規模の大きなもので、後世の改修の跡もほとんどなく、棟札によって宝永2(1705)年の建立であることがわかります。3間の向拝を付け、外陣回りでは広縁と落縁を回して柱を立て、外陣正面の柱間は7間、右側面では庫裏等への接続のために縁を取り込んでいます。
【鐘楼】
鐘楼は基壇上に建ち、桁行4.17m、梁間3.62mの本格的な造りです。虹梁や木鼻が付き模様はすべて陽刻で、これは本堂・表門・手水屋の伽藍の主要建物に共通していて、府下でもこの頃からこの例が見られます。
【茶所】
境内には茶所と長屋があり、茶所では釜の銘に延享3(1746)年とあり建立年代と考えられます。
西本願寺は親鸞を宗祖都市宗派は浄土真宗本願寺派です。末寺数、信者数において日本最大の仏教系宗教法人です。別院とは本山直属の寺院で、地方における教義弘通の中心道場であり、門主が住職を兼ねており輪番が置かれ、寺務の運営を主管しています。大阪府下ではほかに津村別院(大阪市)、堺別院があります。
【その他』
慶応4(1868)年1月鳥羽伏見の戦いに敗れた会津・桑名藩兵が紀州藩を頼って南下する際、それら敗残兵に対する警備の陣屋が設けられ、住民数百名が連日集結して警備に当たったという記録がのこっています。また明治5(1872)年には当時の堺県第31番小学の支校が置かれました。
■INFORMATION
- 住所
- 大阪府阪南市尾崎町2丁目8−19